めまぐるしいほどに、次から次へと事件が起きています。そのことの目に見える衝撃に驚いているうちに、衝撃度の強さで物事を見、その順序で忘れ去り、まさに感覚が麻痺してしまいます。
一つ一つをその度に嘆きはするけれども、それは単にピース(一片)にすぎなく、そのままじゃバラバラです。
でも、その一片一片をそのままにしないで、この社会というジグソーパズルのどの部分に当てはまるのか、考えながら置いていくことをしたならば、今の社会全体の絵が見てくるのではないでしょうか。
例えば、子ども達の被る悲惨な出来事を無くすために大人たちが動き始めているけれど、それはどこに向かおうとしているのかのジグソーパズル。
こんな新聞の投書がありました。
〜栃木の事件で。孫と同じ年の子ども達が心配で声をかけていた自分が(初老の男性)が、不審者として通報され手配されていたという。これからは、自分は子どもには心配でも声は掛けないことにすると。
知らない人は怖い。男の人は危険。格好が汚い人、挙動が変な感じの人は注意。
こんなパズルの一片が置かれて完成するものは、ちょっとでも自分達と違う人を排除していく考え方をする社会かな・・・。。
たしかに子どもは大人よりも変な人を察知する力はないから、過剰な防衛をしなければならないかもしれない。
ちょっとまって。
そういう大人でも、あの耐震強度偽装マンションを売っていた大人を、変と思えなかった。
大きなビルの大きな会社。自信満々で人間主義をうたっていた。
見た目や格好じゃ到底分からなかったよね。
ものすごい疑問があります。
どうして、倒壊するマンションを平気でつくれるのだろうか、平気で売れるのだろうか。
この社会(日本の経済社会)は人を傷つけるだけで、人の幸せを望まないのだろうか。
だとしたら、子どもを傷つける大人と偽装マンションを建て、売る人は、ジグソーパズルの同じところにはまってしまう。
子どもに人と関わることの怖さや警戒心を緊急措置として教えることは、今は仕方ないピースかもしれない。
でも、地域のつながりやその中の人間関係の希薄さに向けてどう取り戻していくか、そして人は何を大事にして生きていくのかを考える活動のピースを、それと入れ替えるために持っていないと、とんでもない社会が出来上がってしまう。
パソコンのITマネーゲームの画面を見つめ指を動かすだけで、とてつもないお金が手に入ることで、額に汗して働くことが馬鹿らしくなるという現実と、バーチャルな世界を日常のあそび環境としている子ども達のピースは、どこにどんな風にはまって、どんな絵が出来上がっていくのだろうか。
7年問題といわれる団塊の世代のリタイアー。
彼らのリタイアー後の憧れの生活が、年金で暮らせる海外移住だったり、蕎麦打ちを趣味とする隠遁生活だったりすることのピースと、日本が今まで経験したことのないこれから20年以上の高齢社会の到来、それに伴う長期の介護生活時代というピース。
若い世代に出現しているニート、ITバブルと下層階級の2分化のピース。
これらのピースは、うまく組み合わさってはまるのだろうか。
高齢化社会がこの若い世代にどんな影響を、何をもたらすのか。
今年、私達は、とてつもないジグソーパズルを創らなければならないのかもしれない。
〈私達が生きている今〉というのジグソーパズルを創るのに、〈アフタフ・バーバンの自分らしく生きていくための人と人の関わり〉のピースをあっちこっちにはめ込んでいきたい。
そうしなければ、これは完成しないと思うのです。
お正月そうそうやり始めたこのパズル。出来上がるには、たくさんの人の手を借り、時間もかかりそうですが、私もアフタフ・バーバンもしつこい性格ですので、やり続けると思います。
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