| 2006年1月17日(火) |
第93号『つながって生きてこな 〜横山茂コンサート〜』(須貝京子)
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【自信を持って・・・】 |
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2005年も子どもをめぐる悲惨な事件は後を絶たず、大人達は子どもに「人を信じるな」と教えざるを得ない状況に追い込まれていました。
耐震強度偽装事件でも、だます⇔だまされる、損か得かで世の中で動いていきます。
大人も思うのです。
「人を信じるな」
肩を落とし、うなだれてしまう師走の私に、一筋の光が射すように、横山さんの歌声が蘇ってきました。
「横山さんの歌は、信じられる!今の私が、自信を持って、まわりのみんなに薦められる歌声と、3人の共演者との絶妙なアンサンブル。」
1月のコンサートは、何が何でも成功させたい!と、背筋も、しゃんと伸びました。
【横山さんのこと】 |
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横山さんは、1945年、5月に入隊し、8月にロシア国境で終戦を迎え、その後シベリアで4年間捕虜生活を送ります。
抑留中に、収容所の慰安演芸会で「椰子の実」を歌い、囚人達に喜ばれたことがその後の横山さんの人生(厳しい中を、共に生きた人々の想いを歌にこめていくー孝子夫人の言葉)を決定づけます。
帰国後、帰還者楽団を結成、「楽団海つばめ」を経て、秋田で「わらび座」を創設し、長らく座長を務めました。
退団後、神奈川県藤野で薬局を開業していましたが、2000年、アルツハイマーの診断を受け、薬局を廃業。
この時、最後となるはずだったコンサートが感動を呼び、「終わり」ではなく、「始まり」となり、現在に至っています。
いま横山さんは、介護度「4」です。
主治医は、「こうして、お客さんの前で、歌っていることが、奇跡だ」と言っています。
コンサートの送迎は、息子さん。
夫人の孝子さんは、わらび座創設時からの同志として、今も横山さんの隣に立ち、楽譜を指さし、小さく声をかけながら、横山さんを支えています。
伴奏は、50年来の付き合いの、作曲家の岡田京子さん(アコーディオン)。
40年来の作曲家の安達元彦さん(ピアノ)。
4人がいるからこそ、成り立つコンサートです。
【1月9日 当日】 |
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成人式です。
早朝から、晴れ着姿の新成人が、誇らしげに、まちを行き交っていました。
この人たちは、今まで、誰と、何につながって生きてきたのか?これから、生きていくのか?と、思いながら、会場に向かいました。
11才から、80代までの各世代が、万遍なく集まって55人のお客さん。
いよいよ開演です。
自信をもって、取り組んだものの、どんなふうに、伝わるのか、少々心配であり、楽しみでした。
[感想] |
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若い世代ですので、経験も何もないのですが、ロシアの収容所や、鶴の舞う空や、さくらんぼの実った春の風景が次々と浮かび、世界中を、タイムスリップしながら旅しているようでした。(20代) |
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横山さんが前に出ていらした時、孝子さんに話かける時、そういう時はとてもおだやかな人だという印象をうけたけど、いざ、歌がはじまると、声がとても力強くて、第一声を聞いた時、ハッと衝撃を受けました。その衝撃は、横山さんの声を聞いているうちに、胸に染みこむような力にかわり、私の中でなにか、熱いパワーになりました。本当にとても素晴らしかったです。1年、また1年と歳をとっていくなかで、忘れてしまうことがどんなに多くても、自信をもてるなにか、大好きななにかがあることってすごいなって思いました。ステキですね。(20代) |
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一曲一曲に込められた想いの強さを、横山さんが生きてこられた話をきいて より強く感じながら、心に歌がひびいてきました。お互い、支えながら 生きていくことっていいなぁと改めて思うことができました。(20代) |
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おじいちゃん、おばあちゃんの姿が目に浮かびました。手に表情や情景があらわれていて、山や海や川や地のきれいな様子がみえました。力強い曲は、手も力強かったです。知らない曲が多かったけれど、感じるものが、とても大きかったです。(20代) |
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すばらしかったです。人との関係、信頼・・、これって、本当に 人の大きな支えになるし、いろいろなことが可能になるんだと思いました。(30代) |
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すばらしいコンサートでした。それは、ご病気うんぬんを超えて、プロの歌手として!それから、周囲の皆様のあたたかいまなざしに、わたしも包まれているようで あたたかくなりました。(40代) |
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心の中にスーっと入ってくる歌声です。80才の方の思い(シベリアのことも含めて)、伝えなければ 伝わらないことを改めて思いました。だから歌うことで、伝えていくことが改めて力だと思いました。ご高齢の方々が、もっともっと表に出て伝えてください。(50代) |
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勇気を頂きました。奥様のまなざし、スタッフのまなざしの優しさに支えられ、力強い素敵な歌を歌い続けられる横山さんに乾杯!!(70代) |
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とっても心暖まる良いコンサートでした。唄を聞いていると涙がこぼれ、横山さんのかわいいしぐさには笑顔がこぼれました。 |
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歌っている横山さんは、とても輝いていました。呼吸をするように、歌をうたうことは、横山さんにとって自然なこと、生きることなのだと思います。そんな横山さんの歌声から力をいただきました。そして、横山さんが歌い続けられるのは、周りの方の大きな支えがあってのことだと思います。 |
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横山さんは、20分の休憩を挟んで2時間、17曲を歌いきりました。
声に、音に乗せて表現しているのは舞台の上の4人だけれど、お客さんのひとりひとりがその思いをしっかり受け取って、あたたかいまなざしで4人に返していきます。
そのやりとりは、どんどん大きなうねりとなって、みんなの心を揺さぶりました。
演奏者―観客の関わりではなく、もはや、みんなが表現者です。
それぞれの胸にこみ上げるものがありました。
今、ここに集い合っていることの喜びを噛み締めながら、コンサートは終わりました。
【つながって、生き合う】 |
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2004年5月、山口宅での、横山さんのコンサートのお知らせに、このような文章があります。
『仲間がつなぐ心のこもったコンサート、回数を重ねて長い首飾りのようです。私たちも小さな玉をつなぎます。どの玉も光って、もっともっと長くなりますように。』
バーバンも、ひとつ小さな玉をつなぎました。
【つながって生きてこな】 |
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阪神・淡路大震災の後の神戸の皆さんの合い言葉です。
震災復興のまちあそびがきっかけで、バーバンは神戸に事務所を構えることになり、この言葉を教えて貰い、今では私達の大切な言葉になっています。
つながる。つながっていく。
つながり方は、いろいろあっていいのです。
残っているもの。アルツハイマーを患い、記憶を失った横山さんには、歌が残りました。
そうなった時、私には何が残るのだろう?!
そして、私の周りには誰がいるのだろう?!
どんなつながりがあるのだろう?!
老いで、病で、事故で、その他にもいろいろな事情で、私たちは、それまでに蓄え、身につけていたものを、失わざるを得ない状況に追い込まれることがあります。
それは、切ないことです。
でも、残っているものが、きっと、あるはずです。
その炎を、ある時は、強風から遮り、消えそうになったら、そっと息を吹きかけながら、大事に燃やし続けていきたいと思うのです。
人とのつながりの中で。
つながって、生き合う力を信じて。
【お知らせ】 |
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横山さんのことを、もっと詳しく知りたい方は本をご覧下さい。
「奇跡の歌手・横山茂」 あけび出版 本体1800円+税
※横山さんのコンサートの企画については、須貝にお問い合わせください。
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