NPO法人 あそび環境Museum アフタフ・バーバン
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2007年6月3日(日)

第128号『思いを伝える喜びと難しさ』(須貝京子)

バーバンの夏の大きな仕事に、全国各地の児童館に作品を届ける<児童巡回劇>(児童健全育成推進財団主催)があります。今年は、「ざんぱらりん劇場」が富山(8/22〜25)石川(8/27〜30)。「黒マント団参上!」が愛媛(8/8〜11)です。私は、5/21〜23、黒マント団の下見、打合せに行ってきました。

私自身が、児童館職員だったので、この打合せは、ことのほか気合が入ります。児童館での、赤ちゃんからお年寄りまでの、たくさんの人との出会いが、今の自分を育ててくれたからです。特に、何をしでかすのかわからない!小学生軍団は、得体の知れない生き物として、22才の私の前に現われました。その先の読めないことに戸惑いつつ、ああか、こうかと互いに思い巡らせ、振り回されたり、振り回したりしながら、それこそが<子ども>なんだ!と思い至るようになりました。その見えない先を一緒に歩いたり、走ったり、立ち止まったり、後戻りしたりする魅力にとりつかれて、今も、私はバーバンの活動をしています。

子どもが一人でも安心して、自分で歩いて行ける範囲内に、親でも、教師でもない、<一緒にあそび合う>仲間としての大人達が待っていてくれる児童館の存在は、とても大切です。

在職中「いいなあ、すーちゃんは(私のこと)、毎日児童館であそんでばかりいて」「ぼくは学校に行くし、お母さんは家の仕事、お父さんは会社に行ってるよ。ずるいよ、いつもあそんでばかりで、大人は仕事をしなくちゃいけないんだよ」子ども達に、よく羨ましがられていたな。上司からは、やんわりと「遊んでばかりいないで・・」と、注意されたことがあったっけ。併設されていた敬老館のお年寄りは「子ども達が、児童館でお泊まり会ができるんだから、私達も敬老館でお泊り会がしたいわ」と言ってたな。(残念ながら、これは問題が多すぎて実現できませんでした。)そんなあれこれを、懐かしく思い出しながら、松山市内、久万高原、川之江、小部・波方の児童館を回りました。

児童館も地域の子育て支援の中心として、児童だけでなく、乳幼児親子、中・高生対応、相談業務と、<あそび合う大人>としてよりも、地域の人たちをつなぐ<コーディネーター>としての比重が高くなっているようです。それは、確かに大事なことです。事務量も多く、「忙しくて、子ども達と一緒に、遊んでいる時間がない」という声も聞こえてきます。あれや、これやの交通整理に追われて1日が過ぎていくこともあるようです。そうした現状の中だからこそ、<あそび>の持つ力に、改めて出会ってほしい。<あそび>は、与えるー与えられるの関わりではなく、共に創り合っていくもの。だから面倒だ、大変だ。だから面白い。その実感、手応えを、黒マント団の忍者修行を通じて味わってもらえたらいいなと思って、お話をします。

 公演の内容の説明も、話だけではなく実際に動いてみます。

児童館中を5分前にお会いしたばかりの館長さんと、「え、え、え、、、」アタフタしながら走ります。「え、え、え、、、えんぴつ!」「えほん」「絵」「エクレアはないし、ああー、時間だあー」と、<え>で始まる言葉を探す<一文字宝探し>。

「いやー、おもしろいもんですねえ」「子どもら、こんなん喜ぶなあ」「ほんまや」

初めは、緊張気味の顔が、一緒に遊んでいるうちに、表情が和らいできます。無防備な、開かれた顔になってきます。

面白さは、与えられるものではなく、自分の手で見つけて、つかむものなんだ。

「え、え、え」と言いながら、「えんぴつ!」を思いつき、二人で走って「あった!」と顔を見合わせた時の嬉しさ。人と何かをするって楽しい!面白い!の実感。そんな目でみると、ごちゃごちゃした児童館は、まさに宝の山。いつもとは、違って見えてきます。

「こどもより、私達が待ち遠しいです。」職員のみなさんの嬉しそうな顔を見ると、こちらまで嬉しくなってきます。私達も待ち通しいです。

夏、子ども達と、忍者のイメージを被せてあそぶ(修行をする)ことで、児童館がどんな<忍者からくり屋敷>に変身するのか!?楽しみです。

児童館は、児童館だけど、児童館だけじゃない!

フォーカス変えて、多角的に見ることで、児童館が、ある時は、お祭り広場、レストラン、芝居小屋、サーカス広場、寄席、旅館、、、にもなることができます。

ひとりひとりの思い(願い)を集め、たくさんのやりとりをして、思い(願い)を積み重ねることで、物事は作り変えることができるんだ。そんな、きっかけに、今回の公演がなるといいなと願います。

全国どこでも、町の中で、異年齢の子ども集団を見ることが、少なくなった今、児童館での子ども集団の存在は大きいと思います。

たくさんの笑顔の会い、こころ躍らせて帰京した晩、車内のつり広が目に飛び込んできました。

「<感情労働>時代の過酷―ひと相手の仕事に疲れ果てるとき』AERA6.4号です。


<感情労働>??

早速、読んでみると、平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められていて、本来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のこと。体を使う肉体労働。頭を悩ませる頭脳労働。そして、感情を切り売りするが如き<感情労働>の時代が来た。教育も医療もまるでサービス業だ。時にクレーマーと化す ひと相手に灰にならずに、やりがいを達成する道はあるのか。ひと相手の仕事は昔からあったが、以前は、顧客が常連や顔なじみであることが多く、ある程度の親密さや信頼感があったが、今は気質も好みも分からない不特定多数の人を相手にしなければならず、しかも瞬間芸的スピードで、感情労働が求められている。一方、消費者は、<コンビニ、ファミレス文化>の影響で、どんな時でも丁寧に扱われることが(画一的にマニュアル化の象徴ではあるが)、サービスの最低基準だという、ある種ゆがんだ権利意識を持っている。<超消費社会>がキーワードで、月並みなサービスでは満足できない。なにかあればすぐ、苦情、文句をつける、<いちゃもん化>社会である。そして、苦情も直接ではなく、携帯電話やメールなどによる間接的な形が増えたためか言葉が暴走化し、陰湿化している。

こうした流れを変えるには、互いの関係の振り子を適正位置に引き戻すこと、「ここを超えるとただのクレーマーだぜ」というラインの確立と、環境や感情を多角的に見る力をつけることとまとめています。最後に、辣腕編集者、見城徹・幻冬社長の<檄>「辛くないコミュニケーションなんてありえない。ものすごく疲弊するし、痛みを覚悟しないと、本当の関係は生まれない。ただひとつスキルということが言えるとすれば、周囲に対する想像力。他者に対する想像力がまずあって、圧倒的努力をする〜」

日々、ひと相手をしている私も、ある種<感情労働>者ではあるけれど、自分の感情を押し殺してはいません。自分と相手の感情のバランス、距離感を図ることを楽しみつつ暮らして生きたいな。全国のみなさんの所に、たんぽぽの綿毛のように軽やかに、飛んでいきたいなと、今回の下見、雑誌の特集記事を読んで、改めて思いました。

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