NPO法人 あそび環境Museum アフタフ・バーバン
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2007年11月25日(日)

第137号『その気になる瞬間〜長剣修行から考える〜』
(山内たいら)

11月11日(日)。神戸市灘区の水道筋商店街にて忍者修行がありました。今年で4回目となる水道筋忍者。本番前日の商店街のご主人たち(修行当日は道場主様となっていただく方々)との打合せも、4回目ということでとてもスムーズに進んで、いざ当日!となりました。

さて。いよいよ子どもたちも集まってきて、導入劇がスタートしました。こちら水道筋は2回目から我々アフタフ・バーバンと地元のみなさんが事前に集まって一緒に導入劇を作る、というスタイルをとっています。今年も8人のメンバーが集まって、アフタフ・バーバンスタッフ3人とともにBGMにあわせて動いていきました。そんな中、こんなことがありました。

新聞紙を10本ほどつなげて長い剣=長剣を作り、その長剣の両端を持ってみんなの頭の上を通していく「長剣修行」。果たしてみんな剣に触れることなく素早く動くことができるのか?

この日も長剣をギリギリの高さに設定して、いざ「長剣よ、行け〜!」…。

みんな頭を下げて長剣をよけていく…と思い通りにはいかず、何人かの子どもが長剣をつかみ、長剣は動きを封じられてしまったのです。ここでこの日の全体進行役・道場主の紫丸(山内たいら)は一度、長剣を前方に戻してから改めて高さを設定して長剣を出発させました。しかし、長剣は再び同じ場所で動きを封じられました。また改めて長剣を前に戻して、「このまま長剣修行ができずに、まちの中での修行に移るのはやや心配である。ぜひともこの長剣修行、やり遂げていただきたい。」と紫丸はみんなに伝え、やり直すこと5回ほど…。最後は大人忍者の協力もあり、なんとか長剣修行を終え、次の修行にはいっていったのでした…。


さて、みなさんはこの出来事をどのように感じますか?もちろん、この文章だけで判断するのは難しいとは思いますが。

僕も含めて、あの日同じ空間にいたみんなが重たい空気を感じていたと思います。なぜあの子たちは長剣をつかんでしまうのだろう?なぜちゃんとやってくれないのだろう?なぜ・・・?

彼らがこのような行動をした背景、原因は一つではなく、様々な点が考えられると思います。

子どもたちが初めての参加ではなく、複数回(おそらくは3回以上)忍者に来ていることで、取組に対して安心感が大きかったこと。見る修行・聞く修行のあとでこの長剣修行をやったことで、気持ちがどんどん前向きになっていたこと。子どもたちを会場に迎え入れる時から長剣修行の前まで、全体的に柔らかな雰囲気だったこと。などなど・・・。


こう書いていくと、上記の要素一つ一つは決してマイナスにつながるものではないように感じます。しかし、空気は重たくなってしまった。いや、重たくしてしまった。

僕個人の反省すべき点、そしてアフタフ・バーバンとして改めて忍者の取組に対してどのように向かっていくのか、などたくさん見えた出来事でした。これについては今後の課題としてしっかり受け止め、精進していく次第です。

僕が今回、この出来事から一番書きたかったことは「子どもたちは全く悪くない」という点です。

上にも書いたように、大人の目からは「どうしてちゃんとやってくれないんだろう?」と映ってしまいます。やればできるのに…。いつまでもふざけて…。

この「ちゃんと」がクセモノだと思うのです。

ちゃんと座って、ちゃんと話を聞いて、ちゃんと忍者になりきって。


しかし、忍者の取組を通してやりたいことは、「子どもたちに『ちゃんと』修行してほしい」のではなく、子どもと大人がどうあそび合えるのか?やらせる大人、あそばせる大人、評価する大人、見守る大人として子どもたちの前に登場したいのではなく、一緒にさまざまな課題・困難に向かって「どうしようか?」というやりとりを積み重ねたいわけです。
そして、長剣修行はあくまで「導入劇」の中の一つ。まちの中に飛び出して、それぞれ修行していくための『導入』という位置付け。忍者のプログラムがスタートしてからすべての場面において、その会場にいる(大人も含めて)全員がずっとその気になっているということをやりたいのではなく、どこでその気になるかは一人一人違っていいし、そのための入り口はたくさん用意するよ、という向かい方をしています。そういう眼であの日の修行を振り返ると、彼らはずっとふざけていたわけではなく、7秒変身の術では見事にチームで岩になり、まちに出てからは影忍者に気づかれないように道場主様を探し出しました。どこでその気になるかは一人一人が選びとっていたのです。いろんな要因の中で、まだ長剣のときにはそのタイミングではなかっただけ。長剣でその気にならなくても、影忍者に出会ってもその気にならなくても、道場主様に出会ってもその気にならなくても、チャンバラの剣を握ってもその気にならなくても…、きっと彼らはどこかでその気になる瞬間を選びとれる。ひょっとしたら家に帰ってからかもしれない。半年後、突然忍者のことを話し出すかもしれない。しばらく引き出しで眠っていた巻き物を広げた時に、またやりたいと思うかもしれない。それでいい。自分で選びとれる力こそ素敵だ、大切だ、と思うのです。

この日の修行を通して、僕も改めて自分の向かい方を振り返る機会ができました。まだまだ修行中の身です。子どもたち、大人たちとの一瞬一瞬をより丁寧に、大切にしていかなくては、と我が身をひきしめた秋の一日でした。

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