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10月ももうすぐ終わり。いま我々アフタフ・バーバンは一年で一番忙しい季節を迎えています。
9月からここまで、静岡県伊東市・埼玉県秩父市・金沢市・富山市・高知市などのまちで忍者修行をしてきました。
それぞれ全く雰囲気が違うまちですが、振り返って感じるのは「人と人との間合いで、自分が感じているほどほどの距離間からちょっとだけ踏み込んだ(踏み込まれた)ときに、面白さが生まれることが多い」ということでした。
自分が影忍者や闇忍者として、子ども忍者たちの敵役としてまちを動く。忍者として修行している子どもたちとの距離も、お互いに安全圏の中での動きではやや物足りない。でも、近づきすぎるとせっかくの忍者の世界が壊れてしまうことも…。子ども忍者が「これ以上は近づいてくれるなよ」と感じている距離から、少しだけ踏み込んでみる。何とも言えない緊張感。張りつめる空気。壁と一体化する大人。息をひそめる子ども。たまらない瞬間です。
まちの人も面白さを求める方々は自ら踏み込んできます。忍者の道場主様としてお願いしていた喫茶店のご主人。普段はいたって普通の服装なのに、この日は和服をビシッと着て、さらにお客さんも巻き込んで子どもたちの合言葉にお店にいた全員で答えてくれた。その光景に子どもたちはちょっとビックリ、でもたまらなく嬉しい。
商店街であちこち走りまわっている僕らの集団を見て不思議に思ったであろう、おばさん。フリーで動いているバーバンスタッフの腕をつかみ「ちょっと、あんたたちなにやってんの?」と笑顔で尋ねてくる。「なんだろう?」を自分の心の中でとどめないで自らの好奇心に素直に行動する、そのしなやかさに脱帽。
夜の公園での闇修行。敵の闇忍者を見つけた高学年女子チーム。近づいてきた闇忍者から夜の公園で自分たちの存在をごまかすためにとった行動は「夜の公園でランニングをする人々」。目的の密書を見つけるということはさておき、ひたすら公園のマラソンコースを何周も走ることに。すべての密書がそろった時、一つも密書を見つけていなくとも、何とも言えない満足げな彼女たちの顔。
子どもたちが探し出した商店街にいる道場主様。やっと見つけ出して合言葉を交わし、出会った証をいただいているそのとき、お店の中に影忍者が入ってきた。子どもたちはとっさに店の奥に隠れ、道場主様が立ちはだかる。影忍者「ここに子ども忍者がいるという情報があったのですが・・・」 道場主様「(目線は子どもたちを見ながら)いや〜、来てないですよ。あっ、そうそう。そこの通りを左のほうに行きましたよ。はい。左のほうに。」影忍者がいなくなった後、「よかった〜」という安ど感がお店に広がる。
携帯電話、インターネットの普及、ゲーム機の発達…。さまざまな要因が、顔を合わせなくてもコミュニケーションが取れてしまう、一見便利な社会を作り上げてきました。
もちろん僕も使っていますし、もはやそれなしでは仕事が成り立たないようになっているのも事実です。
そんな中、顔を合わせてのコミュニケーションが下手になってきているのも事実ではないでしょうか?
顔を合わせないから、相手の顔が見えない。見えないから言えてしまう、書いてしまう。その難しさをとても感じます。人と人との距離感は、やはり体験することでしか磨かれない感覚なのでしょう。お互い顔を見せて、直接言葉を交わして、ときには傷ついたり、苦しかったり、面倒臭かったり。でも一人では感じられない嬉しいことがそこにはある。そんな体験をたくさんする中で、人にやさしくできたり、思いやりを持てたり、他者への想像力が磨かれていくのだと今すごく感じています。
難しい時代だからこそ、いまちょっとだけ踏み込む勇気を持ちたいな、と感じます。そこにはきっと踏み込まないと見えない風景が広がっているから。そこに向かって背中を無理なく押してくれる存在が「忍者」というイメージだったり、「まち」の魅力だったり、「ひと」の温かさなのでしょう。
子どもたちと向き合うとき、「響関者」という立ち方を昨年から言い続けてきました。響き合う関わりをつくっていく。分かるようで、なかなか奥深いこの言葉。今回この「ちょっと踏み込む」ということから、響き合うにはいい距離が必要なんだろうと感じました。離れすぎていては相手に音がたどりつかずに落っこちてしまう。近すぎては共鳴する隙間がない。大きな響き合いを実現するために、お互いの距離感はとても大事な要素のひとつだなあ、といろんな人たちが教えてくれました。でもその距離感は一人ひとり違うものです。発信する音も違うものです。距離が違い、音も違うからさまざまな響きが奏でられるのでしょう。
今週末からもまだまだ全国各地に出かけていきます。ちょっとだけ踏み込む勇気を自分で持つとともに、その面白さをしっかり体感することを通して、日本各地が「面白さ」という響きでまちがいっぱいになることを目指して。
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